今から20年以上前、佐々木先生は、この様に言われました。「数十年前、初めて老人ホームが出来たときには“老人を姥捨て山に捨てるのか”と皆、驚いていましたが、今では普通になりました。やがて、我が子の子育ても、自分ではせずに、お金を払って他人にしてもらう時代が来るような気がします」
私は、驚きとともに、「まさかそんな事は無いだろう」と思ったことを鮮明に覚えています。
それから20年以上が経ち、残念な事に、佐々木先生が言われて通りのことがおこり始めているといわざるを得ません。
2年保育が主流だった幼稚園も、3年保育がいつしか主流になりました。0.1.2歳などの低年齢から預かる施設も大変増えました。低年齢からの習い事もとても流行っている様です。
正に、お金を払って、我が子の子育てを外注する親が増えてしまった時代です。
しかしのその様な子育てには、大きな落とし穴やしっぺ返しが待っています。何故なら“お母さんに充分依存し、甘える機会”が失われるからです。そのことに関して、佐々木先生はこの様に言われました。
子どもは自分が心の底から信頼して、安心して甘えられる母親に恵まれているということを、どんなに自分がわがままを言って反抗しても、その母親の愛情をけっして失わないということを、繰り返し確認しようとします。そして充分に母親の愛情を感じることで、自分はこんなににも愛される価値のある存在だと徐々に実感し、安心と自信を持って自立への道を歩みはじめます。これが子どもの自然な姿です。母親の愛情をこんなにも求めているということを、愛おしい気持ちとともに、しっかりと受け止めてやりたいものです。
この様な過程を順調に歩めないとき、子どもはいろいろな発達上のサインを出して、私たちに教えようとします。それが、指しゃぶりや夜尿です。
それをそのままにしておくと、大人になって何らかの「依存症」というかたちで症状が現れます。例えばアルコール依存症の人達には、幼少期に共通の問題点を抱えています。一言で言いますと、母親に優しく育てられた機会に恵まれないまま、大きくなってきたということです。育ってきた家庭の貧富の差などよりも、お母さんがやさしかったかどうかの方が、決定的な意味を持っています。
また、私は暴走族の若者達と会うことがしばしばあります。合っていくにつれ、彼らの生い立ちにも同様の問題があることを知りました。みんな、母親に安心してわがままを言ったり、反抗したり充分に出来ないまま、大きくなってきた若者ばかりです。
その不足を、彼らは社会への反抗という形で表現しています。そこには当然、社会への甘えという意味もあることは疑いありません。
いかがでしょう?
“人間は、本来、依存的な存在”です。小さな頃にお母さんに充分に依存し、甘えることが出来なければ、しっかりと自立することなど出来ません。
そして、依存的存在である私たちは、充分に人に依存できなければ、何か他のものに依存せざるを得ません。それが、薬物依存症やアルコール依存症など、様々な依存症です。クレジット破産なども依存症です。人に依存できないから物に依存するのです。しかし、人に依存できているわけではないので、どれだけ物を買っても満足するが出来ず、破産する程、物を買い続けてしまうのです。
“幼児期にお母さんに充分に依存することの重要性”。そして、“依存できなかったことの危険性”を皆さんと一緒に世の中に発信していきたいと思います。 2021.11.2
山田 昇
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